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御朱印収集人

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神社御朱印

末廣神社

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末廣神社
中央区人形町2-25-20 電話:03-3667-4250 最寄駅:日比谷線・浅草線「人形町」

末廣神社

由緒


御祭神   倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
        武甕槌命(たけみかづちのみこと)

 当社は慶長元年(1596)以前に「稲荷祠」として現在の境内地あたりに鎮座。よって、少なくとも四百十年以前の御鎮座である。元和三年(1617)遊女屋主人・庄司甚右衛門らが幕府から許可を得て、当時未開の沼地だった周辺地域を開拓し、江戸町一、二丁目・京町一、二丁目を定め、遊女町を開いた。これが「葭原(吉原)」の始まりとなり、町が活気づくにつれ、人々は当社を地主神・氏神として信仰した。明暦二年(1656)、幕府は、江戸市街地拡張のため、葭原の移転を言い渡し、さらに翌年の「明暦の大火」により葭原は焼失。同年、現在の浅草へと移転して「新吉原」が開かれた。
 葭原移転後は難波町(現・人形町二丁目浪花会)、住吉町(現・人形町二丁目二之部町会)、高砂町(現・富沢町南部地区)、神話和泉町(現・人形町三丁目東部南側)の四か町の産土神として仰がれた。当社の周辺には幕府に仕える役人の住宅が多かったことから、これらの崇敬も深かった。幕末期には、玉垣や幕、調度品などが多く奉納されている。
 旧社殿は、昭和二十年三月十日未明のいわゆる「東京大空襲」で焼失。同二十二年に再建(総檜造り)されたものである。延宝三年(1675)の社殿修復の際、本殿から中啓(末廣扇)が出たことから、氏子の人々が悦び祝って、これに因んで「末廣」の二文字を神社名に冠したものである。従って「末廣」と呼称されたのは、今から330年ほど前からである。
御神宝の古文書は中央区の有形文化財に登録されている。日本橋七福神のひとつ毘沙門天として正月は沢山の人で賑わいます。

例大祭   5月22日

社頭
末廣神社社頭

末廣神社狛犬と拝殿
狛犬(右)
末廣神社狛犬(左)末廣神社狛犬(右)
手水舎
末廣神社手水舎
拝殿
末廣神社

御朱印
日本橋七福神
末廣神社御朱印末廣神社毘沙門天御朱印



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