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御朱印収集人

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神社御朱印

笠間稲荷神社東京別社

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笠間稲荷神社東京別社
中央区日本橋浜町2-11-6 電話:03-3666-7498 最寄駅:都営新宿線「浜町」、浅草線・日比谷線「人形町」
ホームページ
笠間稲荷神社社頭

由緒


御祭神   宇迦之御魂神

現在、東京都の日本橋浜町二丁目に鎮座する笠間稲荷神社東京別社は、紋三郎稲荷とも称せられ、旧笠間藩主牧野氏の邸内社でした。
 今から三百二十五年前の延宝九年に、牧野成貞が五代将軍綱吉から、下屋敷として拝領した土地で、現在の久松警察署前の小川橋・蛎浜橋辺から隅田川に至る二万一千二百六十九坪(約七万平米)の広さがあり、邸内には広大な屋敷と庭園、泉池を設け、築山には稲荷・山王・八幡を祀っていました(将軍)綱吉公は、生母桂昌院娘鶴姫等と共に、三十数回に亘り成貞邸を訪れており、 総勢四百五十余名の実に物々しい行列でした。浜町の牧野邸は、その後替え地が行なわれ、文化七年には、七千九百坪(二万六千平米)となり、その年千三百五十坪(四千四百五十平米)を細川越中守に譲り隣合わせとなっています。延享四年に牧野貞通が笠間に入封しますと、先例にならい、御本社胡桃下稲荷神社を祈願所としました。牧野貞直公も御本社を崇敬し、安政六年 御分霊を江戸下屋敷内の現在の地に合祀奉斎し崇敬の誠を尽くしました。初午の日には日本橋界隈の市民に門戸を開けて、参拝を許したといわれています。廃藩後、牧野公邸は本所緑町に移転し、明治二十一年には牧野家の願いにより、笠間の本社が奉祀する所となりました。
 大正十二年九月、関東大震災に社殿を焼失しましたが、直ちに再建されています。昭和二十年三月東京大空襲により、社殿が焼失し、復興には大変苦慮しましたが同年十二月に本社の援助によりご本殿と仮社務所が出来上がり、同二十八年の九月には、御崇敬者の尽力により拝殿の再建を見るに至りました。同三十二年には社務所、翌三十三年に玉垣、同五十三年には幣殿が完成して現在に至っております。
 日本橋を中心に、紋三郎稲荷として篤い信仰を集めると共に京浜地区の笠間稲荷神社の崇敬者に参拝の利便を計っております。
笠間稲荷神社東京別社に、日本橋七福神の寿老人が合祀されるようなったのは、戦後になってから。 昭和51年((1976)に伊勢の猿田彦神社から勧請されました。 日本橋七福神寿老人を祀っています。

例大祭      

社頭
笠間稲荷神社鳥居

笠間稲荷神社西側鳥居

笠間稲荷神社手水舎

笠間稲荷神社拝殿

笠間稲荷神社拝殿内

笠間稲荷神社狛狐
授与所
拝殿の左手に授与所があります。
笠間稲荷神社授与所
御朱印
授与所で御朱印を頂きました。
日本橋七福神
笠間稲荷神社御朱印笠間稲荷神社寿老神御朱印



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