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御朱印収集人

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神社御朱印

平河天満宮

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 平河天満宮
千代田区平河町1-7-5 電話:03-3264-3365 最寄駅:有楽町線「麹町」、半蔵門線「半蔵門」、
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平河天満宮拝殿

由緒

御祭神   菅原道真公
 
 昭和53年創立500年を迎えた本社は、江戸平河城主太田道灌が、文明10年(紀元2138、西暦1478年)に城内の北の方梅林坂の上に、おまつりした神社でありまして、当時の棟札の文には、6月25日と記してあります。この6月25日という日は、菅公の御生誕の日でありますので、とくにこの日が選ばれて御社殿の上棟祭が行われたものと思われます。
 本社は古来「平河天満宮」または「平河天神」と称えられてきましたが、明治以降は単に「平河神社」と呼ぶようになりました。しかしこれでは御祭神が不明でありますので、昭和48年御社殿の復興に際し、御社号を旧称の「平河天満宮」に復旧したのであります。

例大祭   4月24日、4月25日(宵宮・例大祭
 
平河天満宮由緒掲示板
社頭
平河天満宮社頭
社号標
平河天満宮社号標

平河天満宮大鳥居前
大鳥居
この銅製鳥居は、高さ五メートルにおよぶ鳥居です。支柱にある銘文によれば、天保十五年(1844)十二月に、麹町周辺の人々によって建設・奉納されたものと思われます。千代田区内には現在沢山の特徴的な鳥居が建てられていますが、この銅製鳥居が、区内最古の鳥居です。同様に銘文からは、この鳥居が御鋳物師・西村泉藤原政時の作品であることもわかります。「西村和泉」というのは、『文政舞監』に「御鋳物師 西村和泉 並御錺(かざり)師」かんたかち丁一丁メ」とあるように、元禄から明治期まで十二代にわたって神田鍛冶町に住居した鋳物師の一家系を示します。彼らは江戸とその周辺に梵鐘、灯籠、水鉢等々多くの作品を残しました。彼ら十二人の当主のうち多くは「西村泉藤原政時」を名乗りましたが、平河天満宮銅製鳥居の作者は、嘉永元年(1848)に没した八代目であると思われます。
 なお新宿区八幡町には、「平河天満宮」によく似た「市谷亀ヶ岡八幡宮の銅鳥居」(新宿区指定文化財)があります。これは「西村和泉」家五代目当主・西村泉藤原政平らによって作られた作品です。ただし平河天満宮の銅製鳥居には、左右の台座部部分に四体づつ獅子の彫刻がのせてあるなど、よく見ると少しずつ違いが見つかってきます。
 平河天満宮の銅鳥居は、恋路町周辺の町地に住む人々の平河天満宮への信仰の様子を物語ると同時に、江戸時代の鳥居の姿を私たちに教え、その特徴的な意匠で私たちを楽しませてくれます。(千代田区教育委員会)
平河天満宮大鳥居
銅製鳥居台座
獅子の彫刻が四体づつあります。
平河天満宮銅製鳥居台座(左)平河天満宮銅製鳥居台座(右)
鳥居の扁額
平河天満宮大鳥居の扁額
手水舎
平河天満宮手水舎
石牛
平河天満宮石牛(左)平河天満宮石牛(右)
狛犬
本殿に向かって右側の石像の銘文によれば、この狛犬は、享和元年(1801)に麹町周辺の人々によって奉納され、嘉永五年(1852)に再建されたことがわかります。一方左側にも銘文が刻まれていますが、現在では剥離していてほとんど読むことができません。ただし「新鮮東京名所図会」(第十八編)には、この銘文が収録されています。これによると、先代の狛犬がこわれてしまし、あらたに紫宸殿の障屏画をもとに狛犬がつくられ、これが嘉永三年(1850)の火災で角や足を失い、同五年これらを補修して再設置した、とのことです。「新撰東京名所図会」にある紫宸殿の障屏画とは、一般に『紫宸殿賢聖障子(ししんでんけんじょうのしょうじ)』といわれるものであると思われます。「賢聖」とは徳のある人物のことで、中国では紀元前二世紀ころから功臣たちを書き並べるこの「賢聖」の図が描かれ始めます。この賢聖達の中央に魔除けとして通例描かれているのが、一対の「獅子」と「狛犬」です。日本でも平安時代には賢聖障子が御所の紫宸殿に描かれるようになりました。紫宸殿賢聖障子に描かれている獅子と狛犬のうち、狛犬は頭上に角を持っています。平河天満宮の狛犬を見ると、左側の石像の頭上には、径十センチ、深さ五センチほどの窪みができています。これは角が欠け落ちた跡のようです。平河天満宮の狛犬は、そのモデルを考えた場合、厳密にいえば「獅子」(右側)と「狛犬」(左側)との対になっているといえます。平河天満宮の狛犬は、そのユニークな出自で私たちの興味を引きつつ、麹町周辺に暮らす人々の平河天満宮への信仰の証として今日もその境内に佇んでいます。(千代田区教育委員会)

平河天満宮狛犬(左)平河天満宮狛犬(右)
拝殿
平河天満宮拝殿
扁額
平河天満宮拝殿の扁額 
本殿
平河天満宮社殿左背面平河天満宮本殿(右)
社殿背面
平河天満宮背面

平河天満宮桜と拝殿
石牛
平河稲荷神社の鳥居の右手にあるこの石牛は、浄瑠璃常磐津節の岸沢右和佐の麹町の門弟らによって奉納されたもので、奉納された嘉永五年(1852)は、祭神である菅原道真公の九百五十年忌に当たっています。江戸市中の天満宮では開帳が行われており、平河天満宮でも二月二十五日から六十日間にわたって催されています。この開帳に合わせて、氏子たちは、石牛のほかにも境内の石造物(狛犬・筆塚・百度石・常夜燈)を奉納しています。平河天満宮には、氏子各町の人々による信仰、ならびに氏子地域を越え」た学業成就の信仰に基づく奉納物が数多く見られます。その中で、石牛は、常磐津節の一流派である岸沢派の麹町界隈の門弟らによって造立・奉納されたものであり、区内における学芸の広がり及び天神社に対する信仰の様子を物語る資料といえます。(千代田区教育委員会)
平河天満宮平河稲荷神社前の撫で牛平河天満宮手水舎脇の石牛
百度石
平河稲荷神社の鳥居の左に百度石があります。百度石とは、百度参りを行うために使用される石標で、百度参りが行われる神社境内に立て、そこから往復参拝するよう目印としたものです。百度参りは、個人的な心願のため特定の神社に百度参詣を行うことで、最初は百日間にわたり毎日参詣する形でしたが、のちには一日のうち百度参詣する形に変化したといわれます。ただし、この百度石の場合は、背面に奉納者と思われる多数の人名がありますので、何らかの頁岩の結果として建立・奉納されたと思われます。この百度石は、銘文から、高橋丈鯉が制作したものを、嘉永五年(1852)二月に鮫ヶ橋の岸岡仙太郎ら六十七名が奉納したものです。奉納者六十七名は、①鮫ヶ橋など地名を肩書に持つもの、②松浦藩・永井藩・本郷藩・片桐藩という藩名を肩書に持つもの、③肩書がなく名前だけのものが混在しています。奉納者は地縁的な繋がりは考えにくいため、学問上の繋がりの中で奉納したとも思われ、平河天満宮と、周辺の町や人々のかかわりを考えることができます。奉納された嘉永五年(1852)は、菅原道真公の九百五十年遠忌に当たり、江戸市内でも平河天神では、嘉永三年(1850)の火災による修復入用を賄うために別当龍眼寺が出願し、二月二十五日から四月五日まで開帳が行われ、御真筆・御影・神宝が公開され、作庭が三ヵ所、発句連の句会が開催され、境内では曲馬・手妻・鉄割りなど興行もおこなわれ、百度石の他にも、狛犬・常夜燈・筆塚の三件がこの開帳に合わせて奉納されています。(千代田区教育委員会)
平河天満宮百度石
力石
 平河稲荷神社の千本鳥居を進むと左てに力石があります。力石とは、一定の重量の大小の円形または楕円形の石で、村の鎮守、神社境内、会所や村境(今日の行政単位ではない)にあって、若者達が力試しに用いたと記録されています。古来、わが国民間信仰では石にかかわる信仰は多く、石に神霊がこもる、あるいは石を依代(よりしろ)としている神々も多いとされています。また、「力石」における伝承のひとつとして、「道切」説もありますが、「巨人伝説の大草鞋」などと同種のものと考えられます。しかしこれらは、石神等に、関する伝承の変化であって、昔は、村々に疫病の侵入を防ぐための神であり、呪い等であったようです。(疫病は道を伝わってくると信じられていました。)
 平河天満宮の力石の由来は詳らかではありませんが、江戸・東京の若者達の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料であると思われます。なお、本力石の表面には、中央に、「天龍石」、右端に「十天助次郎持之」、左端に「同新助」と刻まれています。(千代田区教育委員会)
平河天満宮力石
筆塚
嘉永五年の菅原道真公の九百五十年遠忌に二月二十五日から四月五日まで開帳が行われ、御真筆・御影・神宝が公開され、作庭が三ヵ所、発句連の句会が開催され、境内では曲馬・手妻・鉄割りなど興行もおこなわれ、筆塚の他にも、狛犬・常夜燈・百度石の三件がこの開帳に合わせて奉納されています。
平河天満宮筆塚
常夜燈
この常夜灯は、本来、左右一対ですが、完形で現存するのは一基のみで、もう一基は残存している石材を積み上げて往時をしのばせています。寸法は、高さ三・四五メートル余、幅・奥行きとも一・二六メートルです。材質は、安山岩ですが、火袋には花崗岩が、基礎にも新しい石材が使用され、ともに後世に補われたものです。装飾は、火袋の左側に月(三日月)、右側に日輪の形が施されており、中台には祭神菅原道真にちなんだ梅鉢の文様が付いています。銘文は、竿に「常夜燈」(正面)・「奉納」(左側面)・「別当常全代」(背面)「嘉永五壬子年間二月吉祥日」(右側面)とあります。また、基壇にも「雲龍堂」(三段目の正面)とあるほか、二段目及び三段目全体に世話人・発起人をはじめ「雲龍堂充國門弟」・「龍海堂門弟」・「充國門弟」の肩書を持つ多数の人名があり、嘉永五年(1852)閨二月にこれらの人々により奉納されています。雲龍堂と龍海堂は区内にあった寺子屋です。雲龍堂は、文政年間から分球年間(1818~1864)まで麹町八丁目(現在の麹町五丁目)にあり、町民の光國が教師となり、生徒数は二百五十名(男百五十名・女百名)でした。龍海堂は、文化元年(1804)松田町(現在の鍛冶j町二丁目)に開業し町人の布施タキが教師となり読み書き・算術・活花を教え、生徒数は百六十人(男五十五名、女百五名)でした。なお、嘉永五年は菅原道真公の九百五十年遠忌であり、当社でも二月二十五日から四月五日まで開帳が行われ、御真筆・御影・神宝が公開され、作庭が三ヶ所、発句連の句会開催、境内では曲馬・手妻・鉄割りなどの興行もおこなわれました。また、境内にはこの開帳に合わせて作製・奉納されたと考えられる石造物が三件あります。(狛犬)〔再建〕・百度石・筆塚)この常夜燈は、区内の寺子屋とその関係者の天神社に対する信仰の様子を物語るものです。(千代田区教育委員会)

平河天満宮常夜燈

平河天満宮布袋尊像
三殿宮
大鳥神社、塩神社、浅間神社、の三社が祀られています。
平河天満宮三殿宮

平河天満宮三殿宮社殿
平河稲荷神社
平河天満宮平河稲神社荷鳥居

平河天満宮平河稲荷神社
絵馬掛け
平河天満宮絵馬掛け
平河天満宮絵馬(梅)平河天満宮絵馬(道真公)
平河天満宮御礼絵馬
縁結びの梅
梅の実がペアで成っています。
平河天満宮縁結びの梅1平河天満宮縁結びの梅
参集殿
平河天満宮参集殿
例大祭
平河天満宮例大祭境内の露店平河天満宮麹町囃子
夏越の大祓
平河天満宮茅の輪と社殿
七夕祭
平河天満宮七夕飾り
七五三
平河天満宮七五三拝殿
初詣
平河天満宮初詣社号標と鳥居

平河天満宮初詣拝殿
社務所
平河天満宮社務所
おさがり
おさがりの煎餅を頂きました。
平河天満宮神饌のせんべい 
御朱印帳
 平成28年8月1日よりオリジナルの御朱印帳が頒布開始されました。初穂料は1500円(御朱印込)、サイズ16cm×11cm。濃いピンク色のデザインのものあり。
御朱印
御朱印は授与所で頂きました。初穂料は300円です。催し毎に限定の御朱印も授与されます。


2016/8/1 オリジナルの御朱印帳の画像をアップしました。
2016/7/14 七五三の御朱印をアップしました。
2016/12/26 年越大祓の御朱印をアップしました。
2017/1/2 初詣の御朱印をアップしました。
2017/1/25 初天神の御朱印をアップしました。
2017/1/30 一月限定御朱印、節分限定の御朱印をアップしました。
2017/2/26 平河稲荷神社初午、桃の節句の御朱印をアップしました。
2017/4/21 平成29年例大祭の御朱印をアップしました。
2017/5/1 平成29年端午の節句の御朱印をアップしました。
2017/7/1 夏詣、七夕の御朱印をアップしました。

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