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御朱印収集人

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神社御朱印

太田神社

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太田神社
大田区中央6-3-24 電話:03-3753-4529 最寄駅:都営浅草線「西馬込」、東急池上線「池上」
ホームページ
太田神社境内
由緒


主祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと) (第十五代応神天皇)

合祀神 竈(かまど)神社 (澳津彦命・澳津姫命・火産霊神)
     稲荷神社 (宇迦之御霊命)

 寿永四年(1185)二月、屋島の戦いにて那須与一宗高公が祈念して放った矢は、見事扇を射ぬきました。『平家物語』にも描かれるこの逸話は広く知られるところですが、当社は、その那須与一公が守本尊とした神像を御神体として安置し、古来よりその故事にちなんで「願えば叶わぬこと無し」と厚く信仰されております。また那須与一公が一本の矢一発で見事扇を射ぬいたことから、一度の挑戦をものにしなければならない入学祈願・学業成就祈願、スポーツ競技の勝利祈願などご利益があるとされて、古くよりご祈願に訪れます。
 鎮座年月は不詳ですが、文化、文政に編まれた「新遍武蔵風土記稿」には既に当社のことが記載されており、さらに当社保存の明細帳には、天明三年(1783)に氏子三十一戸にて、社殿を再建した記録が残されています。さらに戦前には三百年以上の年輪老松が存在し、大森、羽田方面の漁船の出入りの目標にもなっていたこと等から、おそらく当社の創建は三百五十年以上も前に遡るものと推測されています。
 当社は古くは「八幡社」と呼ばれていましたが、明治五年から十年の間に「太田神社」と改称されました。その理由は不詳ですが、「北条分限帳」では、当時の市野倉から六郷までを所有していた太田進六郎の氏神だったことから「太田神社」と改称したと伝えています。さらに太田道灌が江戸城築城の際、この地を候補地にとして遊猟の折に検分したためという説も存在し、いずれの説が正しいかは確証がありません。
 明治以前の神仏混淆時代は、覚王山長勝寺が別当として管理していましたが、明治初年の神仏分離以降独立し、現在では上神明天祖神社(品川区)宮司の斎藤泰之氏が太田神社の宮司も兼ねてご奉仕しています。明治四十五年四月二十五日には、周辺にあった竈神社、稲荷神社、貴船神社(貴船神社は元本門寺の鬼門除けとして東の院に建立したのちに長勝寺の境内に遷した)を合祀し、昭和五年八月十一日に波及社殿を移修しましたが、惜しくも昭和二十年五月二十四日の大空襲で、社殿・舞殿とも焼失してしまいました。しかし木造衣冠装束の御神体は覚王山長勝寺に安置されていたため、季節的に難を免れ現在に至っています。
 戦後間もなく氏子会が結成され、昭和二十八年には拝殿が造営されました。その際、別当寺の覚王山長勝寺に一時的にお遷ししていた御祭神は、旧市之倉町内を順行した後、真新しい太田神社社殿に遷座されました。その後平成六年に本殿の造営が行われますが、万一の火災に備えて、完全耐火構造の鉄筋コンクリート造りで施工されました。実に空襲による焼失以来四十九年振りの御本殿造営となりました。
 その境内には、明治三十四年に氏子より奉納された狛犬、昭和七年に氏子より奉納された御影石の鳥居、昭和三十五年の造営された社務所、昭和五十年に造営された神輿蔵などがあります。

年中行事
 歳旦祭     1月1日        初午祭  2月最初の午の日  例大祭   5月15日直前の金・土・日曜日
 夏越大祓式  6月下旬の日曜日  貴船祭 10月2日        七五三詣 11月15日直前の日曜日
 年越大祓式  12月30日
大田神社由緒書
社頭
太田神社は市野倉高台突端に位し、下から7・3・21・16・16・計63段の石段を上った高台に位置します。
太田神社社頭
鳥居
昭和7年に奉納された御影石の鳥居
太田神社鳥居
社号額
太田神社社号額
道標
鳥居をくぐって進むと、石段前の左手に道標があります。
太田神社参道左の道標

道標には「南無妙法蓮華経那須宗高守本尊家運正八幡宮道これより一丁」と刻まれています。
太田神社道標
参道
63段の石段が続きます。
太田神社参道

八幡菩薩像由緒碑

参道の右手に八幡菩薩像由緒碑があります。
源平盛衰記の花形、那須與市は後世に弓矢の神といわれた武人である。この武人の守本尊と伝えられる八幡大菩薩像と太田神社との因縁は、次のように伝承されている。
 この地に川島百太郎という旧家があり、徳川時代、この家(当主定右衛門)の女人が将軍家御奥の局方に奥女中として永年実直に奉公した。永暇を願い出て帰宅の際、局から労をねぎらって下賜された八幡大菩薩像を持ち帰ったが、後に民家に祀るのをおそれて正八幡宮に奉納した。そのため正八幡宮の本尊と誤伝されたという。
 明治初年の神仏分離で正八幡宮は太田神社と改称、隣接の長勝寺は別当職を退き、八幡大菩薩像を同寺に移した。先年、この像があまり古くなったので、ある塗師に塗り替えを依頼した。塗師が旧箔を落とし始めると、急に気分が悪くなって病床についたので、像を住職に返すとたちまち病気が治った。住職が不思議に思って像を調べると、背部に「那須與市宗高守本尊」と記されていたという。
 当太田神社は、第二次世界大戦の空襲で焼失したが、この像は長勝寺に安置されていたので焼失をまぬがれ、昭和二十二年頃、現在の住職によって同神社に奉還された。
 この像の高さは台座を含めて十五・五センチで、背部の旧箔の落ちた部分に、薄れていて全部は判読できないが、正八幡と那須與市宗高の墨書が確認できる。
 因みに当太田神社のご祭神は、誉田別命、(応神天皇)で、奥津彦命、奥津姫命(竃神)、宇迦御魂命(稲荷)、高龗命(貴船)が合祀されている。

八幡大菩薩像由緒碑 昭和六十三年十一月三日建立

太田神社八幡菩薩像由緒碑
手水舎
石段を登りきると右手に手水舎があります。
太田神社手水舎
手水盤
手水盤には「家運」と刻まれています。これは木造衣冠装束の御神体が、那須与一公の守本尊と伝えられていることに因みます。那須与一公は、屋島の戦や壇ノ浦の戦に、この御神体を守本尊として身につけて戦いに挑んだため、明治から昭和にかけて多くの出征兵士が参詣し、武運長久を祈願しました。
太田神社手水盤
稲荷神社
手水舎の奥に稲荷神社が鎮座しています。
太田神社稲荷神社
境内
社殿は高台に位置し、ここからの眺望は京浜随一で、晴れの日には東南に大森海岸、羽田の海と遠く防臭の山々を望見し、西には京都を思わせる国宝本門寺の五重塔や富士の秀峰を眺め、北は桐里、梅田、池上の丘陵に接するなど、古くより景勝の地として知られています。

太田神社境内1
狛犬
明治三十四年氏子より奉納された狛犬
太田神社狛犬(左)太田神社狛犬(右)
拝殿
拝殿は昭和28年造営されました。
太田神社拝殿
本殿
本殿は平成6年に造営され、完全耐火構造の鉄筋コンクリート造りです。
太田神社本殿(左)
神楽殿
太田神社神楽殿
神輿倉
境内右手に昭和50年に造営された神輿倉があります。
太田神社神輿倉
絵馬
一願必中扇絵馬、初穂料は1000円です。
太田神社絵馬
例大祭
太田神社例大祭社頭

太田神社例大祭提灯

太田神社例大祭一之宮太田神社例大祭二之宮
御朱印帳
オリジナルの御朱印帳があります。初穂料は1000円。ビニールカバー付き、サイズは18cm×12cm。那須与一公が可愛らしくデザインされた御朱印帳で、ピンクのものもあります。
太田神社御朱印帳
サイズ18cm×12cm、初穂料1500円。
太田神社御朱印帳
御朱印
御朱印は拝殿の左にある社務所でお願いしました。初穂料は300円を納めました。自分で押してくださいと言われ、書き置きものに日付印のスタンプを自分で押しました。日付入れていただけませんでした。



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