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御朱印収集人

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神社御朱印

神田神社

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神田神社
千代田区外神田2-16-2 電話:03-3254-0753 最寄駅:JR中央総武線・丸ノ内線「お茶ノ水」ほか
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神田神社由緒書

由緒

江戸東京で最も歴史のある神社
 社殿によると、天平二年(730)に御創建とあり、約千三百年の歴史を持つ江戸東京の神社の中で最も古い神社の一つです。初めは現在の千代田大手町の将門塚周辺に鎮座していました。その後、円慶二年(1309)に平将門公を御祭神としてお祀りいたしました。
 慶長八年(1603)、徳川家康公が江戸城に幕府を開き拡張する際、当社は社地を江戸城から裏鬼門の位置にあたる現在の地へ遷し幕府より御社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府はもちろんのこと江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。
 明治時代に入ると準勅祭社、・東京府社として皇居・東京の守護神と仰がれました。明治七年(1874)、茨城県・大洗磯前神社より少彦名命をお迎えいたしました。さらに同年、明治天皇が親しくご参拝されました。
 平将門命は明治七年一時、摂社・将門神社に遷座されましたが、その後、神職及び氏子総代をはじめとする氏子崇敬者の懇願により、昭和五十九年、再び神田明神の三宮祭神に復座されました。(由緒書より)


大鳥居

神田神社鳥居

随神門
随神門は、総檜造りの入母屋造で左右に隋神像を奉安し、昭和五十一年に建立されました。

神田神社隋神門

隋神像

神田神社隋神像(左)神田神社隋神像(右) 

手水舎
隋神門をくぐって、左には手水舎があります。

神田神社手水舎


神楽殿
随身門をくぐると右に神楽殿があります。

神田神社神田ばやし


拝殿

神田神社の社殿は昭和九年、神社建築としては画期的な権現造の鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗で造営され、約十年の歳月と巨額の浄財により完成。東京大空襲にも耐えたこの社殿は。平成十五年に国の登録文化財に登録されました。
神田神社拝殿
だいこく尊像
石造としては日本一の大きさを誇るだいこく様
神田神社だいこく尊像

えびす尊像
えびす様が波に乗っています。
神田神社えびす尊像

境内西側から社殿の裏側には沢山の境内末社が鎮座しています。
神田神社境内末社めぐり掲示

魚河岸水神社

 日本橋魚河岸水神社は、徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願するため、魚河岸の先人により武蔵国豊島郡柴崎村神田神社境内(今の千代田区大手町)に鎮座された。元和年間(1615~)神田神社とともにこの地に遷り、大市場交易神と称されその後、水神社と改称しさらに明治二十四年(1891)魚河岸水神社と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。なを、日本橋より築地に移った中央卸売名場内には、当社の遥拝所が立てられ、市場にかかわる人の篤い信仰により支えられている。
 当神社の崇形体「魚河岸会」の所有する加茂能人形山車は、江戸城内に参内し徳川歴代将軍の上覧に浴し、再三褒賞を賜った。江戸の代表的山車であったが惜しくも関東大震災により烏有に帰した。その後、昭和三十年江戸文化の一端を後世に永く遺す為、文久二年(1862)当時そのままの山車を再現した。隔年に行われる神田祭には、その絢爛豪華な山車の全容を拝観することが出来る。(掲示より)
神田神社魚河岸水神社
小唄塚碑・小唄作詞塚碑

魚河岸水神社の左には小唄塚碑、小唄作詞塚があります。
当神社の神田祭は、江戸っ子の「粋」と「いなせ」と「勢い肌」の象徴でありました。江戸小唄の中に神田祭りは随所に取り入れられています。この憧憬もあって、大正・昭和の小唄作曲に大きな足跡を残された吉田草紙庵(本名吉田金太郎)を縁あるこの地に顕彰し、三十一年三月に小唄作詞家の市川三升・英十三・宮川曼魚の三長老により小唄塚は建立された。その後昭和六十二年六月に、小唄塚建立三十周年を記念して作詞家を讃え顕彰すべく小唄作詞塚が建立された。(掲示より抜粋)
神田神社小唄塚小唄作詞塚


小舟町八雲神社

魚河岸水神社の右に小舟町八雲神社が鎮座しています。
 この神社は江戸城内吹上御苑より神田神社とともにこの地に遷座された。小舟町[貞亨年間(1684~)までは小伝馬町]お仮屋を有し神輿が渡御されたことから小舟町の天王と称された。明治以降は公命により、江戸全町域の疫病退散のため、江戸城内・北奉行所・日本橋橋上に神輿を奉安し祈祷が行われた。
 東都歳時記によれば、当時の天王祭は一丁目にお仮屋が出来、大提灯・大注連縄が張られ、二丁目には七、八間の絹張りの神門が造られ、その左右に隋神が置かれ長さ五條の杉の木が植え込み、鰹節の樽積みが高々と重ねられた。三丁目には須佐之男命と稲田姫の造り物、八岐大蛇の行灯、天王祭の大幟を立て神輿の神幸を待った。神輿は六月十日に明神境内を発興して氏子百八十か町を巡り遷興するのは十三日か十四日その間の里程は十三里に及んだといわれた。このことから十三里天王とも言われた。近年では八雲祭と改められ小舟町街中に壮大なお仮屋が立てられ、華麗にして勇壮な大神輿の神幸際が不定期に斎行されている。(掲示より)

神田神社小舟町八雲神社

大伝馬町八雲神社

大伝馬町八雲神社は江戸所時代には祇園牛頭天王社(一の宮)と呼ばれ、当地に祀られていた地神様でした。その運営費用は、最初は、宮元である大伝馬町が伝馬入用から賄っていましたが、にちには太物問屋仲間が賄うようになり、運営主体が変わっていきます。そのため、天水桶には、元々の宮元である大伝馬町の名とともに、当時の神社運営に携わっていた太物問屋仲間の名も見ることが出来ます。江戸問屋仲間と神社のかかわりを私たちに教えてくれます。(千代田区教育委員会掲示より)


神田神社大伝馬町八雲神社


大伝馬町八雲神社天水桶

 この天水桶は、地上から1.4mほどになる一対のものです。八角形の基壇と四角形の台座は石製で、天水桶は鋳鉄製です。天水桶の口縁には「巴」が連続する文様が見られ、また台座は蓮弁を模した形にするなど装飾も施されています。 
 銘文によればこの天水桶は江戸深川神大島町在住のい御鋳物師(いもじ)である大田近江大掾(おおたおおみだいじょう)藤原正次(釜屋六衛門 通称釜六)が作成したもので江戸の問屋仲間の一つ太物問屋仲間が天保十年(1839)六月に奉納したものです。太物問屋とは反物などの流通を一定扱う商人のことで、江戸でも日本橋界隈に店を並べていました。

神田神社大伝馬町八雲神社天水桶

力石と角田竹冷の句碑

左の石碑には、「白うおや はばかりながら えどのみず」と記されています。 角田竹冷は安政三年(1856)五月に静岡県富士郡鹿島村に誕生。職業は江戸初期の「代言人」(今の弁護士)であったが俳人として名を知られている。
右の石は「力石」この力石の由来は詳らかではないが江戸・東京の若者たちの生活と娯楽の一端を知る上で貴重な資料である。本力石はその銘文から文政五年(1822)十二月に神田仲町二丁目柴田四郎衛門が持ち上げたものとされる。 (掲示より)

神田神社力石と角田竹冷の句碑


江戸神社

大宝二年(702)に武蔵国豊嶋郡江戸の地(今の皇居の内)に創建された江戸最古の地主神であります。ふるくは江戸大明神あるいは江戸の天王と称された。慶長八年江戸城の拡張により、神田神社とともに神田台に遷り、更に元和二年(1616)当地に遷座された。江戸時代中期以降は牛頭天王と称され、明治元年(1868)に須賀神社と改称、更に明治十八年(1885)に江戸神社と復称された。この神社は江戸幕府のころ幕府の食を賄う菜市が開かれその後、貞亨年間(1684)神田多町一帯に青物商が相集い市場の形態が整った。こうした発祥のころから市場の守護神として崇敬されてきました。現社殿は平成元年神田市場が大田区東海の地に移転するに当たり江戸神社奉賛会の人々により今上陛下御即位大礼の記念として、大神輿を御神座として再建鎮座された。(掲示より)

神田神社江戸神社


浦安稲荷神社

江戸神社の右に進むと浦安稲荷神社が鎮座しています。
 浦安稲荷神社は住吉江戸川河口近きの一漁村の住民に祀られ天正年間(1573~)徳川家康公江戸入府に当たり城下町整備に際し鎌倉町の成立とともにその守護神として勧請されました。寛政九年(1797)堂町の崇敬の念篤き大工職平蔵により、社殿が造営され、彌来浦安稲荷神社として伝えられています。
 その後天保十四年(1843)八月、町割り改めに際し神田明神境内に遷座、さらに明治維新及びその後の戦火災により復興できぬ内神田稲荷社五社を合祀し今日に至っている。(掲示より)
神田神社浦安稲荷神社

鳳輦・神輿奉安殿
浦安稲荷神社の右に進むと鳳輦・神輿奉安殿があります。
神田神社奉安庫
三宿稲荷・金刀比羅稲荷神社

鳳輦・神輿奉安殿の右(社殿の裏側)には三宿稲荷・金刀比羅稲荷神社が鎮座しています。
 三宿稲荷神社の創建は不詳です。江戸時代より神田三河町二丁目(他に皆川町・蝋燭町・旭町の一部が合併され昭和十年に司町一丁目に改称、さらに昭和四十一年より住居表示の法律により、内神田一丁目、二丁目に編入され内神田司一会となる)の守護神として奉斎されていた。その後当社十二代神主芝崎美咲守の邸内に祀られていた内山稲荷と合祀され、当社の末社として斎された。現在の社殿は昭和四十一年十月七日再建され、金刀比羅大神とともに鎮座された。
 
 金刀比羅神社は天明三年(1783)に武蔵国豊島郡薬研掘(現在の東日本橋二丁目旧両国町会)に創建された江戸時代には、神衹白川家の配下となり、祭司が斎行されていたが明治六年(1873)七月に村社に定められた。
 住吉は墨田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、町の発展とともに、商家、とくに飲食業、遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めている。昭和四十一年十月七日、宗教法人を解散して氏神のこの地に、社殿を建立し、三宿稲荷大神とともに遷座された。(掲示より)

神田神社金刀比羅神社三宿稲荷神社


三宿稲荷・金刀比羅稲荷神社水盤


三宿稲荷・金刀比羅稲荷神社の鳥居をくぐると左に水盤があります。
 この水盤は左右の銘文によれば文化二年(1805)二月に伊勢屋治兵衛によって奉納された事が分かります。さらに背面の銘文によると安政三年(1856)六月に神田・日本橋・京橋・下谷・本郷界隈にすむ四十五の人々によって再建されたと考えられます。安政三年の人々について調べてみますと、「諸問屋名前帳」(国会図書館所蔵)からこれらの人々の中には川辺炭薪問屋仲間・炭薪仲買・人宿・六組飛脚問屋などといった職業を持つ町人であることが分かります。また再建に当たり揮毫を書家の平林惇一が行っておりますが、平林惇一は書家細井広澤の流れを汲み、江戸日本橋室町で代々書屋を営んでいた平林家とかかわりのある人と考えられます。
 この水盤は、千代田区における江戸時代の信仰の一端、とくに神田神社やその末社である、金刀比羅神社、三宿稲荷神社と江戸の町人たちのかかくわりを知ることが出来るものです。(掲示より)
神田神社金刀比羅神社三宿稲荷神社水盤
末広稲荷神社
神田神社末廣稲荷神社
 
籠祖神社
神田神社合祀殿
三の宮鳳輦奉安殿
神田神社三の宮鳳輦奉安殿

祖霊社・古神札納め所
神田明神を尊崇なさった氏子・崇敬者の先祖をお祀りするお社。平成16年に創建されました。
神田神社祖霊社
国学発祥の地碑

 国学は、荷田春満(1669~1736)により江戸において始められた学問です。春満は伏見稲荷大社神職の出。有名な赤穂事件のとき、当時吉良邸に出入りしていた春満が赤穂浪士たちにひそかに情報を提供し討入をたすけたというエピソードもあります。その春満に最初に入門したのが神田明神神主家の芝崎好高であり、邸宅を講義の場として提供するなど国学の普及・発展につとめました。また春満の弟子・賀茂真淵(1697~1769)も、神主芝崎家の邸に一時住んでいました。真淵は、御三卿・田安宗武に仕え、その一方で江戸在住の武家・町人層を中心に国学を広めました。
 碑は春満・真淵そして芝崎神主ほか明神神職による国学の発祥を記念して、昭和53年12月に建立されました。題字は当時伏見稲荷大社宮司・守屋光春、撰文は直木賞作家・今 東光氏によるものです。

神田神社国学発祥の碑

阿部筲人(しょうじん)の句碑

碑の表面に筲人の俳句「山茶花の散るや己の影の中」が刻まれています。しょう人 (1900~1968)は、俳句雑誌『好日』を主宰し俳句論をおこなった人物。その著『俳句―四合目からの出発』は、俳句の入門書として多くの俳句愛好者に読まれています。昭和47年11月12日、好日俳句会により建立されました。


神田神社阿部筲人の句碑


銭形平次の碑

野村胡堂(1882~1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と2人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和45年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立した。胡堂の『捕物控』は昭和6年『文藝春秋オール読物』に第1作「金色の処女」が発表されて以来、27年間で383編にもおよんだ。神田明神から明神下を見守る場所に建てられています。寛永通宝を形どって建立されています。

神田神社銭形平次の碑

八五郎の碑と野村胡堂邸燈籠
銭形平次の碑の右隣には子分・がらっ八の小さな碑があります。燈籠は野村胡堂邸にあった燈籠です。
神田神社八五郎の碑と野村湖堂邸灯篭

獅子山(文化財)
拝殿右前に獅子山があります。だいこく祭り寒中禊の氷がありました。江戸時代に関東三大獅子の一つとして奉献されました。
神田神社獅子山

明神会館
境内右に明神会館があります。神前結婚式を上げられた新郎新婦の結婚披露宴会場として連日賑わっています。
神田神社明神会館


神馬・神幸(みゆき)号

信州佐久高原、平成22年5月15日生まれの牝馬(ポニー)毛色は芦毛(年をとるにつれ白毛が増し白馬になる)愛称は、明るく平和な世の中になることを願って、明神様の明の一字をいただき「あかり」と呼んでください。(掲示より)


神田神社神馬


御朱印受付
拝殿の右に御朱印受付があります。

神田神社御朱印受付 

御朱印帳(神田祭限定)
オリジナルの御朱印帳があります。サイズ16cm×11cm、初穂料1200円
神田神社御朱印帳
御朱印
御朱印は御朱印受付でいただきました。初穂料は300円を納めました。

神田神社御朱印
千代田区の神社御朱印   東京十社 御朱印帳  動画



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