Favicon.ico">

御朱印収集人

ようこそ「御朱印収集人」をお参り下さいました。あなた様は  人目の参拝者様でございます。
現在「御朱印収集人」を参拝されている方は  名様でございます。

寺院御朱印

豊島第47番城官寺

 ←豊島第34番宝勝山南蔵院 →豊島第36番薬王院
豊島第47番城官寺
北区上中里1-42-8 最寄駅:JR京浜東北線上中里

城官寺は真言宗豊山派に属し、本尊は阿弥陀如来像です。かつて平塚神社の別当寺でした。平塚神社入口にある石碑に、亀田鵬斎による城官寺の縁起が彫ってありました。それには、甲冑塚に不思議なことがあるなどしたため、その傍に庵を建て僧を置いてこれを守らせたことに始まると記されていました(碑文は明治初年削りとられています)。
元禄5年(1692)の縁起(同寺住職真恵によるもの)には、寛永17年(1640)、将軍家光が鷹狩りの途次、平塚神社を見て、誰がここまで造営したのかと尋ねたところ、将軍が病床にあったとき山川城官という者が平塚神社に平癒を祈願し、叶ったことを喜びここまでにしたと村長が答えたので、城官を召して、社領として50石、城官の知行地として200石を与え、寺号を改めて平塚山城官寺安楽院と称するよう命じたことが記されています(新編武蔵風土記稿)。
この寺院の墓地には、昭和11年3月、都の旧跡に指定された多紀桂山一族墓があります。多紀氏は丹波康頼の後裔で、家康に仕え、元孝の代に奥医師となりました。多紀氏を名乗ったのも元孝の代で、それまでは金保氏でした。その子元悳(藍渓)は、明和2年(1765)、神田に躋寿館という医学校を建て、医学教育を始めました。寛政2年(1790)、躋寿館は幕府立の医学館となり、元恵はその教授に任ぜられました。そのこ元簡(桂山)、元簡の子元胤らも奥医師として知られており、いずれもこの寺院に葬られました。
亀田鵬斎は江戸時代後期の儒者で、荻生徂徠の古文辞学を排撃し、朱子学を重んぜず、寛政異学の禁では異端の筆頭とされました。書をよくし、草書は近世を通じての名手といわれています。(北区文化財案内より)


山門

城官寺山門

山門をくぐった右手には地蔵尊があります。

城官寺地蔵尊

本堂

城官寺本堂

庫裏
本堂の左にある庫裏で御朱印を頂きました。

城官寺庫裏

御朱印

城官寺御朱印 
次の豊島札所は第21番大龍寺です。

北区の寺院御朱印  豊島88か所御朱印   御府内八十八ヶ所



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 神社御朱印
もくじ  3kaku_s_L.png 寺院御朱印
もくじ  3kaku_s_L.png 御朱印帳
もくじ  3kaku_s_L.png 珍しい御朱印
もくじ  3kaku_s_L.png 御利益
総もくじ  3kaku_s_L.png 神社御朱印集
もくじ  3kaku_s_L.png 三社巡り
もくじ  3kaku_s_L.png 寺社祭事・催事
総もくじ  3kaku_s_L.png 神事
総もくじ  3kaku_s_L.png 寺院御朱印集
もくじ  3kaku_s_L.png 札所御朱印集
もくじ  3kaku_s_L.png 寺院行事・催事
総もくじ  3kaku_s_L.png ○○ゆかりの寺社
もくじ  3kaku_s_L.png 秩父三社
【豊島第34番宝勝山南蔵院】へ  【豊島第36番薬王院】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【豊島第34番宝勝山南蔵院】へ
  • 【豊島第36番薬王院】へ