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御朱印収集人

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寺院御朱印

金乗院

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金乗院
豊島区高田2-12-39 電話:03-3971-1654 最寄駅:副都心線「雑司ヶ谷」、都電荒川線「学習院下」

金乗院山門

縁起


宗派   真言宗豊山派

本尊   聖観音菩薩

札所   江戸五色不動関東三十六不動霊場御府内八十八ヶ所第38番江戸三十三観音第14番

金乗院(こんじょういん)は、東京都豊島区高田にある真言宗豊山派の寺院である。山号は神霊山。江戸三大不動・江戸五色不動のひとつ、目白不動尊を祀っていることで知られている。当寺院は、開基である僧・永順が本尊である聖観音菩薩を勧進して観音堂を作ったのが始まりであるとされている。永順は1594年(文禄3年)に没しているのでそれ以前の天正年間の頃(1573年(天正元年)- 1592年(文禄元年))の創建ではないかと推定されている。当初は中野にある宝仙寺の末寺で蓮花山金乗院と称したが、後に護国寺の末寺になり神霊山金乗院となった。江戸時代までは近隣の木之花開耶姫社の別当なども務めていたが、第二次世界大戦による戦災で本堂や徳川光圀の手によるものとされる木此花咲耶姫の額などが焼失。現在の本堂は1971年(昭和46年)に再建されたものである。また目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあったものであった。新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像で、それが武蔵国関口(現在の文京区関口)に住む者の手に渡ったといわれているがその詳しい年代はわかっていない。その後、この寺院は江戸時代に入り元和4年(1618年)に奈良・長谷寺の僧・秀算によって中興された。秀算は二代将軍・徳川秀忠の命令によって長谷寺の本尊と同じ十一面観音像を造り、本堂などを建立し新長谷寺と命名した。寛永年間に三代将軍・徳川家光により、新長谷寺の本尊である不動明王像に五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後この不動明王像は目白不動明王と呼ばれるようになったという。また一帯の高台も目白台と呼ばれるようになった。(これは現在の地名になっている目白や目白台の起源になっている)その後、この寺院は五代将軍・徳川綱吉や桂昌院の帰依を受けて発展した。また江戸市民に時を告げる時の鐘を備えていた。しかし、新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。本尊の目白不動は金乗院に移され、現在に至るまで金乗院が目白不動尊として信仰を得るようになっている。
目白不動豊島区掲示 
金乗院のしおり


山門前
金乗院山門前左金乗院山門前右
扁額
金乗院山門の扁額
関東三十六不動霊場
金乗院関東三十六不動札所
本堂
金乗院本堂

金乗院修行大師像金乗院圭永子地蔵
水子地蔵
山門を潜ると左手に水子地蔵があります。
金乗院水子地蔵
鐔塚
金乗院鐔塚
目白不動堂
金乗院目白不動堂金乗院不動堂 
金乗院不動堂扁額金乗院不動堂前の地蔵尊
金乗院不動堂内金乗院不動堂内部 
墓地入口
本堂と不動堂の間に墓地の入り口があります。
金乗院墓地入口
金増員墓地i入り口石造物(左)金乗院墓地入り口の石造物(右)
青柳文蔵の墓
青柳 文蔵(あおやぎ ぶんぞう、宝暦11年(1761年) - 天保10年3月14日(1839年4月27日))は、仙台藩領磐井郡東山町(現在の岩手県一関市東山町松川)出身の江戸時代後期の商人。医師、小野寺三達の三男として生まれる。名は茂明、号は東里、近水楼主人。青柳文庫の名前の由来となった人物である。彼は兄2人、姉3人の末子であった。父は私塾もやっていたので幼いころから和漢の書物に触れる機会を持っていた。18歳で江戸に出て、苦労しながら学問を続け、井上金峨に儒学を学んだ。その後、公事師として財をなすに至った。
金乗院青柳文蔵墓
丸橋忠弥の墓
丸橋 忠弥(まるばし ちゅうや、? - 慶安4年8月10日(1651年9月24日))は、江戸時代前期の武士(浪人)。慶安の変で江戸幕府の転覆を図った。出自に関しては諸説あり、長宗我部盛親の側室の子として生まれ、母の姓である丸橋を名乗ったとする説、上野国出身とする説(『望遠雑録』)、出羽国出身とする説など定かではない。なお、河竹黙阿弥の歌舞伎『樟紀流花見幕張』(慶安太平記)では、本名は「長宗我部盛澄」(ちょうそかべ もりずみ)と設定されている。友人の世話で、江戸・御茶ノ水に宝蔵院流槍術の道場を開く。その後、由井正雪と出会い、その片腕として正雪の幕府転覆計画に加担する。しかし、一味に加わっていた奥村八左衛門が密告したため幕府に計画が露見。そのため捕縛され、磔にされて処刑された。辞世の句は「雲水の ゆくへも西の そらなれや 願ふかひある 道しるべせよ」。墓所は、東京都豊島区高田の金乗院、品川区妙蓮寺。
金乗院丸橋忠弥の墓金乗院丸橋忠弥の墓1
寺務所
金乗院寺務所 
御朱印
江戸三十三観音御府内八十八ヶ所38番
金乗院御朱印金乗院御府内38番御朱印
五色不動 関東三十六不動御府内八十八ヶ所54番
目白不動御朱印金乗院御府内54番新長谷寺御朱印



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