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御朱印収集人

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神社御朱印

検見川神社

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検見川神社
千葉県千葉市花見川区検見川町1-1 電話:043-273-0001
最寄駅:JR総武本線「新検見川」徒歩6分、京成電鉄千原線「検見川」徒歩1分
ホームページ

検見川神社社頭


由緒


御祭神   宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)
        素盞鳴尊(すさのをのみこと)
        伊弉冉尊(いざなみのみこと)

 検見川の地には、二千年前の蓮の実として有名な「大賀ハス」と三隻の丸木舟が出土した検見川泥炭遺跡(落合遺跡)がある事からも分かるように、古代より稲作・漁労を中心とした生活が営まれていた土地であります。古代人は、毎日の生活の中で自然の恩恵に感謝し、その中に神を感じ、家庭内に於いて神を祀る行為(祭祀)を怠ることなく行ったと考えられます。
 又時代は下りますが、当地には七九四年平安京に遷都した第五十代桓武天皇の皇子で第五十一代平城天皇の弟第五十二代嵯峨天皇ゆかりの地として伝承されている「嵯峨」という地名があり、朝廷との関係と共に歴史ある土地ということも知る事が出来ます。そういった歴史と伝統のある検見川の地に鎮まります検見川神社の御創祀は、およそ千二百年前平安時代前期第五十六代清和天皇の御代にまで遡ります。当時は、人臣として初めての摂政である藤原良房が清和天皇の外祖父として実権を掌握し、養子基経とともに摂関政治を藤原氏が確立した時代であります。この天皇の御宇貞観十一年(869)全国に流行した疫病を鎮めるため、その消除を全国規模で祈りました。そのとき下総国(現在の千葉県)で素戔嗚尊が祀られ、災厄消除を祈った場が嵯峨の地であったのです。古来より国家単位の災いをも取り除くほど神威の轟きます地なのです。その後、下総国には桓武天皇の子孫である桓武平氏が実権を握る事となっていきます。承平元年(931)に勃発した承平の乱(平将門の乱)に見えるように、国内は少々乱れもしますが、祭祀の伝統はなおも連綿として永続していきます。当時嵯峨天皇にゆかりある五位蔵人後胤平春績の子孫が、葛飾原に土着の際に付近の開墾を始めたことがありました。その時期、嵯峨の地より素戔嗚尊の御鏡が出土し、開墾によって土地を犯したことから起きた災いであるとお告げがありました。そこで、第六十一代朱雀天皇の御宇承平四年(934)に嵯峨の地に社殿を建立し、検見川大明神として祭祀を営み謝罪したところ、無事災いが取り除かれ開墾することができたと伝承されています。その後、豊臣秀吉の豪華絢爛な桃山文化の花開いた時代、第百七代後陽成天皇の御宇文禄年間(1592~2596)、現在の花輪台の地に社殿が遷されましたが、祀りの伝統は衰えることなく、人々の篤い崇敬を受けています。
 宇迦之御魂神は、平安時代後期藤原氏の勢力が衰微し、天皇が院庁に入って政治を見る所謂院政期に祀られ始めました。第七十四代鳥羽法皇の院政期、第七十六代近衛天皇の御宇久寿二年(1155)、勅令により平良文(将門の叔父)の流れをくむ千葉氏庶流で鎌倉初代将軍源頼朝配下として活躍する上総介廣常・金田小太夫頼次兄弟並びに頼次縁社三浦義澄等が、下野国(現在の栃木県)那須原に於いて妖狐九尾の狐を退治した事件がありました。その内の一人頼次は、九尾の狐の霊威を畏れみ、崇敬していた宇迦之御魂神を祀りました。その後金田氏は執権北条氏、足利将軍家松平清康(徳川家康の祖父)弘忠(家康の父)と代々有力氏族及び徳川恩顧の家臣として栄えることになります。そして頼次の二十世の孫である金田銀太夫正明が検見川の地を領有した時代、だいひゃはちだいごみずをてんのうのみうげんわにねん(1616)検見川大明神の御神域に宇迦之御魂神を御奉賛し、現在に至っています。
 伊弉冉尊は、室町三代将軍足利義満が南北朝を統一せしめた時代第百代後小松天皇の御宇応永十六年(1409)以来嵯峨の地に祀られていました神であります。尊は伊弉諾尊と共に我が国の母神として御神徳の高い神として人々に敬われています。江戸時代になり、金田正明が日頃崇敬していたこの神を寛永年間(1624~1644・第三代将軍徳川家光治政下)に現在地に遷し、祭祀を営んだのが最初とされています。
 このように、古来より民衆は勿論有力武将の崇敬も篤いいともかしこき神を祀る神社として、その御神徳を高揚してきたのであります。この三柱の神の鎮まります社を「神祇三社検見川神社」と尊称し、今日に至っているのであります。

例大祭   8月1日~3日


検見川神社由緒書


市神之社

京成千原線「検見川」駅北側1分の所に検見川神社が鎮座しています。鳥居をくぐると石段牡右手前に市神之社が祀られています。

検見川神社市神乃社


石段
検見川神社石段


手水舎
石段を上ると右手に手水舎があります。
検見川神社手水舎


御神水
石段を上った左には御神水があります。
検見川神社御神水


拝殿
賽銭箱が三つ並んでいます。
検見川神社拝殿


三つの神殿
写真左手前から東神殿、中神殿、西神殿。中神殿には素戔嗚尊が祀られています。
検見川神社三つの神殿


東神殿
東神殿には宇迦之御魂神が祀られています。
検見川神社東神殿


西神殿
西神殿には伊弉冉尊が祀られています。
検見川神社西神殿


社務所
拝殿牡右手に社務所があります。
検見川神社社務所


子授けの樫

社務所の左奥、拝殿の右手奥に子授けの樫があります。実生より育った樫の群生は大変珍しく子授けにあやかろうと崇める人が多いそうです。

検見川神社子授けの樫


君が代石

子授け石の樫の根元に君が代石があります。この石は、朝日将軍木曽義仲ゆかりの地信州木曽郡日義村にて発見されたもので我が国国歌「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりてこけのむすまで」と歌われたさざれ石です。木曽山中に永年の風雪等により大小無数の岩石が次第に固まり大きな岩と成長したものです。

検見川神社君が代石


三峯神社
更に進むと三峰神社が鎮座しています。
検見川神社三峯神社


境内社
三峯神社の右手には境内社があります。
検見川神社境内社


古峰神社
境内社の右手には古峯神社があります。
検見川神社古峰神社


三峯神社の左へ進むと石祠が並んで祀られています。
検見川神社境内社2


東側参道
検見川神社東参道 
検見川神社斎館
検見川神社斎館


 検見川神社東参道標

検見川神社東参道


手水舎
検見川神社東側参道手水舎

うたせ茶屋
検見川神社うたせ茶屋



西側参道
検見川神社西側参道


西側参道祠
検見川神社西側参道社


御朱印帳
サイズ16cm×11cm 初穂料は1000円、桃色と紫の二色、御朱印帳あり。
検見川神社御朱印帳頒布


紫色の御朱印帳
検見川神社御朱印帳


御朱印
初穂料は300円を納めました。
通常期間正午九参り限定
2~4月、6~8月、10~12月1月、5月、9月
検見川神社御朱印検見川神社正午十御朱印



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